映画レビュー【パンズ・ラビリンス】
あらすじ
1944年のスペイン内戦で父を亡くし、独裁主義の恐ろしい大尉と再婚してしまった母と暮らすオフェリア(イバナ・バケロ)は、この恐ろしい義父から逃れたいと願うばかり自分の中に新しい世界を創り出す。オフェリアが屋敷の近くに不思議な迷宮を見つけ出して足を踏み入れると、迷宮の守護神が現われ彼女に危険な試練を与える。
シネマトゥデイ (外部リンク)
【感想】ネタバレ含んでるかもしれないのでご了承下さい。
これ、PG-12の理由、分かりましたよ。
グロいんです。最初に言っておきます。
グロ表現結構あります。
例えば、発砲した市民を捕まえて、嘘つき野郎ってなって顔を潰すシーンとかあります。顔がだんだんとへこんでいく様……。演技、人形だと分かっていてもグロいです。
ほいで拷問シーン、思わず「あいたたたたたたたたたぁッ!」って声を漏らしてしまうほど残虐です。
これ、最初に言っておきますね。免疫ない方は見ない方がよろし。
気をつけて見てください。
戦時下、母親が再婚して妊婦になった状況での無力な自分。
どう守れっていうんですか? っていうくらい過酷な状況に置かれている主人公の話です。
頼れるのは母のみ。身重の。臨月なので、いつ生まれるか…。
そんな中で、ヒトラーみたいな恐怖の対象でしかない養父。
そりゃファンタジーに駆け込みたくなります。
私でもそうするでしょうね。
そして、地下の王国の姫だと言われたら、そりゃあもう、頑張りますよ。
姫に戻って、楽土に還りたいです。
こっから先は完全にネタバレ、心理学解釈を書いていくので、見終わった後に楽しんで下さい。
えーっとですね、地下って、心理学でいうと「無意識世界」なんですね。
要するに「あの世」です。
心理学で、このような図になっているの見かけた事がある方もいらっしゃると思います。
この無意識っていうのが、「闇の世界」です。
意識は、「光の世界」です。
で、この作品に出てくるクリーチャーがいるんですけど、それは「闇の世界に潜むもう一人の自分」です。
必ずオフェリア(主人公)は、そのクリーチャーと対峙します。
食べるな、と言われているのに食べてしまう愚かさ。
それをクリーチャーが見抜いてしまい、襲いかかってきます。これは、自己への攻撃なんですね。
してはいけないことをしてしまったことに対する罪悪感。罪の意識。これがクリーチャーの攻撃性です。
これこそが「闇」の正体。
「光」が作り出した「影」。
見方によっては、「正義」が「悪」を下す、という感じになりますし、さらには「人間らしさ」、「子供らしさ」が出ていいじゃないかという寛容な見方も出来ます。
つまり、それだけ「光の領域」と「闇の領域」は曖昧なんです、境目が。
何をもって「正しい」と言えるのか。
どういうのが「悪い」と思うのか。
私たちが判断しているのは、全て経験からです。遺伝子レベルの秩序、国家の秩序、社会の秩序、血縁の秩序、そして個人経験の秩序です。
その経験をベースに、善悪を判断しているだけにすぎないのです。
本当は、「善悪」という概念なんて、ないんです。当然ながら、無意識世界の奥深い所にある、集合的無意識では、善悪など存在しません。
あるのは闇。それだけです。
最初にあったのは、闇なんです。闇というか、「虚無」です。全く何もない状態です。
そこから光が生まれ、影が出来た。それが闇です。
光をなくしては闇は存在しません。逆に闇をなくして光は存在しません。
だから、「陰陽」が一つになって、完全体となるのです……。
きっと、この作品も「陰陽」がテーマになっています。
どうして母のお腹にいる胎児が「男」にこだわったのか?
そしてオフェリアはなぜ娘でないといけなかったのか?
それを考えると、辻褄が合うような気がしてなりません。
処女の血、それを捧げる男性的なシンボルである棒状の祭壇。
結合を意味しています。
そこから、世界が開かれ、光と闇へ通じていくのですね。
オフェリアが試練を受ける時、木の間を潜って、狭い道を潜っていくのですが、あれは母体を象徴していたのだと思います。
狭い道が産道です。泥まみれになりながら潜っていく。
これぞまさしく産みの苦しみです。
夢分析でも、洞窟や狭い道は、グレードマザーを象徴していることが多いです。
という感じで、終わります(笑)
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